母がすい臓がんになった話⑤ 【手術から1年後】

2019-04-22

こんばんは。 

 

しばらくまともにブログを更新する時間を確保できず、
いつの間にかサーバーの更新日を迎えていたのですが、

さすがにそろそろ何か書かないといけないということで、以前書いたすい臓がんになった母のその後を書きたいと思います。

 

 

最後に母のことを書いたのが去年の8月頃で、

その時は手術後にあっさり再発してしまいましたという内容を書いたのですが、

それからさらにいろいろあり、

現在はほぼ末期の状態です。

 

具体的にどういった状況だったかというと、

手術で切除したすい臓がんが3か月で再発して肝臓に転移

抗がん剤の副作用で毛髪を失い週の半分はベッドから出られない日々が続く

10月頃に抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなる

その一か月後に5倍くらいのサイズに増大

最後に残された有効な抗がん剤を使用しようとするも金属アレルギーで使用できない

使用できる病院を探し一か月後「通常の2倍の時間をかけて投与する方法」で抗がん剤の治療を再開

新しい抗がん剤の副作用に苦しむも毛髪が復活

3月頃まで順調に腫瘍の成長を止めていたのもつかの間、旅行に行く当日に謎の発熱で入院し治療中断

発熱の原因が感染症だと思われていたのに実際は感染症に感染していなく、治療中断による腫瘍熱にいつの間にか置き変わっていて医者が混乱
結局現在まで発熱の原因はわからず

3月末東日本大震災被災者への医療費免除が打ち切られる

4月の初め頃、熱が引いたのちに抗がん剤による治療を再開するも、旅行先で呂律が回らなくなり肩の痛みを訴えてそのまま入院
3日後に意識混濁状態になる

4月15日に突然意識が回復し普通に会話ができるようになる

4月19日に腹痛を訴えてからほぼ寝たきりになる

 

という感じです。

 

約8か月で状況がコロコロ変わりまして、
心底きつかったです。

 

 

 

特に2週間前に意識混濁状態になったときは、
もう近くの葬祭会館に葬儀の見積もりをとってもらう段階まで行きまして、

 

「200万か・・・どうすっかな・・・」

 

とずっと頭を抱えていました。

 

「結婚式は赤字になるが葬儀は赤字にならない」とは言いますが、
実際に見積もりを見るといろいろとプレッシャーを感じます。

 

結果的にその後意識を取り戻したので、
実践を交えた予行練習ということで済んだのですが、

結局すぐ状態が悪くなり今に至ります。

 

 

前に書いたブログで、がん患者の家族として感じる孤独感についてちょっと書いたのですが、
今年の1月に高校時代の部活仲間と新年会をした際にそれを最大級に感じまして、

来年美容師として自立して店を持つ
とか
結婚して子供ができる
とか

 

「もう僕はこいつらと同じ世界に生きていないんだな・・・」

 

と酒も飲まずに独りで帰りました。

僕がちょっとでも現状を語ろうとすると「陰気な空気を持ち込むんじゃねえよ」という無言の圧力を感じました。

 

元々そんなに酒を飲むほうではなかったのですが、
最近はいつ病院から連絡が来るかわからないので、
いつでも車を運転できるように酒を極力飲まないようにしています。

 

思えば去年の今頃はまだ手術の段階だったので、
母の病院に通いながら帰宅後に一人家で酒を飲みながらサクラ大戦をやるくらいの余裕があったのですが、
今年のGWはちょっとゆっくりゲームをやるような余裕は作れないかもしれません。

 

 

母が寝たきりになることで起きる問題はかなり多く、
仕事においても色々な影響が出てきます。

というのもうちは家族経営の店を営んでいまして、
母であるのに加えて経営者であり経理でもあったので、

「経営者と経理が一遍にいなくなってじゃあ誰が確定申告するの」状態でして、

ようは仕事量が倍になりました。

 

加えて家のこともすべて自分で対処しなければいけなくなり、

正月やらお盆やら彼岸やら親戚の法事やら回忌やら町内の班長やらを全部自分でこなさなければいけないのが正直しんどいです。

この「家のことを全部自分でやらなきゃいけない」というきつさが、
同年代の人には全く理解してもらえなく、

上に書いた新年会での孤独をより一層強めました。

 

 

今日は僕の29歳の誕生日だったのですが、

特に祝うこともなく仕事と母の見舞いで終わりました。

今日医者には「家に帰るなら意識があるうちのほうが良い」という話をされたのですが、
事実上の余命宣告だと思っています。

 

「今の状態で帰宅するのは症状を悪化させる可能性が高いので帰宅させるつもりはありません」という旨を医者に伝えたのですが、

それは僕がまだ「なんやかんや来年の今頃も病院に通いながら母と意思疎通しているんじゃないか」という甘い考えを持っているからで、

遠回しに治療の余地がないと言われている今、
無理をしてでも一度帰宅させるのが母のためなのかもしれません。

 

たとえ僅かな時間しか家にいることが出来なくても、
まだ意識があるうちにもう一度家のベッドで横になることが母の望みなのであれば、
その通りにするべきなのかもしれません。

 

母が病気になって一年以上が経過し、辛い状況になるとよく
「2歳の時に離婚した親父がいればまだましな状況だったのかな」
とか
「じいさんがアルツハイマーじゃなかったら家のことくらいはやってくれてたかもな」
とか
「母と同じ病気で亡くなったおばあさんがまだ生きてたらずっと気が楽だったかもな」
とか

両親家族みんな健康な家庭を逆恨みするような思想になることがあったのですが、

今この状況こそが僕の人生における最大の成長期なのではないかと、
きちんと図太く正面から受け止めて母に余計な心配をさせないのが大事なのではないかと、

いろいろと見つめなおすきっかけになっています。

 

果たして母は近い将来どうなっているのか、
来週どうなっているのか、
再来週どうなっているのか、
すい臓がん患者の遺伝子をもつ僕自身が何歳まで生きられるのか、

誰にもわからんのです。

 

というわけで終わります。

お疲れさまでした。